夜が明けたら




 願い、希望、全てを賭けて挑んだアルカナ・デュエロ。
 決勝戦でジョーリィはフェリチータと戦い、負けた。
 見くびっていた訳ではない。
 手加減をした訳でもない。
 決して短くはない今までの人生の中で、数える程しか出した事のない本気を出した。
 それでも、彼女には敵わなかった。
 強い意思を湛えた翡翠の瞳に完敗を悟り、敗北を宣言。
 フェリチータの優勝が決定した後は大変な騒ぎとなった。
 ファミリー全員が歓喜に湧き、狂乱とも言えるような状況をまとめたのは、やはりモンドだ。
 だが。

 「娘の祝賀会を開く!」

 その一言で、ノリの良い構成員たちは尋常ではないレベルのはしゃぎっぷりを見せた。
 瞬く間にパーティーの準備が整い、飲めや歌えの大宴会が開かれる。
 喧騒を好まないジョーリィは参加を拒否したかったのだが、花が綻ぶような笑顔でフェリチータに腕を引っ張られたのでは、拒む事など出来ない。
 尤も、その小さな手は彼女の従者によって、すぐに引き離されてしまったのだが。
 実の息子を冷徹な視線で睨み付けたが、心の中は晴れやかだ。
 優勝は逃したものの、フェリチータが自分を選んでくれるという確信があったから。
 証拠も根拠も、理由すら持ち合わせていない。
 今までなら、確証がない事を信じるなど有り得なかった。
 ましてや移ろいやすい人の感情なら尚更だ。
 けれども、フェリチータの愛情、そして自分の気持ちを疑う事はない。
 そこにあるのは、生まれて初めて抱く純粋な想いだけ。




 そんな穏やかな心情でパーティーに出席したのだが、すぐに後悔する事となる。
 宴会中は常に大人数がフェリチータを取り囲んでいた。
 時期トップ決定の祝辞や健闘を讃える言葉が絶え間なく送られる。
 それだけならまだ良いが、中には告白めいた台詞を言い出す奴まで現れ、ジョーリィの機嫌は急降下した。
 片っ端から実験成果物の餌食にしたかったが、彼女の為に設けられた祝いの場を、阿鼻叫喚の地獄絵図にはしたくない。
 悲しむフェリチータと己の悋気を天秤に掛け、やっとの事で嫉妬心を抑え込む。
 しかし、この場に留まっていては、いつまで理性を保てるか自信がない。
 最後にグラスの中身を何の酒か分からないままに煽り、足音荒く会場を後にした。
 そのまま錬金部屋へ向かい、気を紛らわせようと実験に取り組む。
 目標は、ホムンクルスの安定した量産。
 モンドの命の危機が去ったとはいえ、錬金術師としては心惹かれる課題である。
 祝賀会の狂騒も届かない薄暗い部屋でひとり、作業に没頭した。







 パリンッ、とガラスが割れる音に被さる大きな舌打ち。
 自らの手で実験に使用していたフラスコを破棄したジョーリィは、苛立ちのまま髪を乱暴に掻き回した。

 「何がいけない……!」

 誰も聞く事のない独り言は、葉巻の煙と共に空中で霧散する。
 材料の純度、加熱時間、それとも薬品投入の順序か。
 頭の中で様々な要因を考えるが、思惟が整理出来ない。

 「……酒のせいか?」

 脳の働きを鈍らせる液体を思い浮かべたが、ただの言い訳にすぎない事は自分でよく分かっていた。
 アルコールを摂取したのはもう何時間も前だ。
 今現在の思考を乱す理由には成り得ない。
 深く長い息を吐き出し腕時計に目を落とすと、4時半になるところ。
 どうやら夜を徹しての研究となってしまったようだ。
 集中出来ない原因を睡眠不足と決め付け、気分転換の為に部屋の外へと足を向けた。




 早朝の空気が清々しい。
 6月とはいえ、太陽が昇りきっていないこの時間は若干の肌寒さを感じるが、焦燥感で落ち着かない身を冷ますには丁度良く思えた。
 祝宴の騒ぎも聞こえず、館内は静まり返っている。
 静寂の中、ジョーリィの足音だけが存在を主張していた。
 新しい葉巻を取り出し、火を点ける。
 肺いっぱいに煙を吸い込むが、考えがまとまる事はなく、胸の内に燻った焦りは消えない。
 咥え煙草のまま廊下を進むと、

 「……何だ?」

 角を曲がった先に落ちている、白い物体が視界に入った。
 すぐ近くまで寄り、見下ろす。
 柔らかそうな布の塊である事を確認し、恐らく衣服だろうと結論付ける。
 放置するか、それとも踏み付けるか。
 しばし逡巡したジョーリィは、結局腰を折って手を伸ばし、拾い上げた。
 両手で持って広げると、それは純白のブラウスだった。
 襟許にフリルがあしらっており、いかにも少女が好みそうなデザインだ。
 たった1人しか思いつかない持ち主の顔が浮かぶ。
 何故廊下に洋服が落ちているのか、と首を捻ると、数メートル先にも何かが落下している。
 歩を進め、2つ目の落し物も回収する。
 今度は薄桃色のワンピースだ。
 シンプルながらも精密な刺繍は相当手が込んでいる。

 「ルカが作った服か?」

 裁縫箱を館中に散りばめる男ならば、このくらいの装飾は造作もないだろう。
 女性物の洋服を2着、片手で抱える。
 面倒だが、このまま置いておく訳にもいかない。
 拾得物を届けようと、所持者である少女の部屋へ歩き出したのだが。

 「……今度は何だ」

 またしても通路の真ん中に置き去りにされた物を見つける。
 3つ目は前者と違い、洋服ではなく片方の靴だった。
 壊れそうなくらい繊細な造りのミュールで、華奢なサンダルとは全く縁のないジョーリィは手荒に掴み上げる。
 洋服だけであれば、メイドが洗濯中に落としたと考えられなくもないが、流石に靴を放置して行くとは思えない。
 しかも同じ人物の所有物が3つも落ちているとなると、人為的理由を疑うべきだろう。
 捻くれた性格の男は一層怪訝そうに、警戒心を露にしながら長い脚を動かす。
 だが、落とし物はこれで終わりではなかった。
 キャミソール、ベルト、パニエ、ショートブーツ……。
 廊下を進む毎に衣服が落ちており、全てフェリチータの物だった。
 服飾品はまるで何処かへ導くように点在しており、拾い上げる度にジョーリィは苛立ちを募らせる。

 「何がしたいんだ、君は……」

 どんなに服や靴を辿っても、姿を見せない少女に向けて悪態をつく。
 遺失物など無視すればいいだけなのに、それが出来ないのは大切な人の物だからか。
 自分の気持ちを弄ばれ、誘導されているような錯覚に陥り、気分が悪い。
 とうとう両腕が女性服でいっぱいになり、これ以上抱えきれなくなった時。

 「此処は……」

 いつの間にか薔薇園まで来ていた。
 ジョーリィにとって薔薇園とは、たまにモンドたちと行う密談の会場であり、他に用事がある場所ではない。
 時々カクテルの着色材料に花を必要とするが、勝手に摘んで行けばスミレが嫌な顔をするのは十分承知している。
 なので、依頼という形で他の者に取りに行かせ、自分では近付かない。
 そんな場所に、衣類を追って辿り着くなんて。
 馬鹿げている、と踵を返そうとした瞬間、楽しそうな笑い声を耳が捉えた。
 ひっそりとした空気を破るような音だが、決して耳障りではない。
 部屋へ戻ろうとしていた足を、声が聞こえた東屋へと向ける。
 距離が縮まるにつれ、話し声が大きくなり、先客が誰かを知った。
 フェリチータとノヴァだ。

 「お子様がこんな時間に何をしている?」

 喋る口調が段々と棘を帯びていくのが自分でも分かった。
 東屋の床の上でノヴァは仰向けに倒れ、フェリチータが馬乗りになっている。
 2人の着衣は乱れ、フェリチータはジャケットとコルセットを脱いだ状態だ。
 ジョーリィの登場に、ノヴァの顔が驚きと羞恥、そして恐怖を滲ませた。

 「ぼ、僕のせいじゃない!
  こいつが勝手に脱いでぶつかって来たんだ!」

 「ほう……。
  ならば何故、お前のスーツも乱れている?」

 慌てるノヴァに、ジョーリィは益々眉間に皺を寄せる。
 冷酷な眼差しと声音は、まさに周囲から怖れられる相談役のものだ。

 「これは……」

 「動かないのっ!」

 弁明をする為に起き上がろうとしたノヴァの上体を、フェリチータが勢い良く押し戻した。
 再び仰向けになった従兄弟のネクタイを、遠慮なく引っ張っている。

 「や、やめろ!」

 「ノヴァ、全部脱いでぇ!」

 「ジョーリィ、こいつを止めろ!」

 フェリチータの奇行で呆気に取られていたジョーリィだったが、ノヴァの悲痛な叫びで我に帰った。
 子どもに命令されるのは癪だが、この状況が続くのも許し難い。
 溜息をひとつ吐いて、抱えていた衣類を近くの椅子に放り投げる。
 ようやく空いた両手をフェリチータへ伸ばし、後ろから抱きかかえるようにしてノヴァから引き剥がした。

 「男を襲う趣味があったとは知らなかったよ、お嬢様」

 嫌味をこめた言葉に、普段であれば反抗的な目付きが返ってくるのだが。

 「ジョーリィだぁ」

 思いがけず甘い声で名を呼ばれ、身体が固まる。
 トロンとした瞳に見つめられ、鼓動がひとつ跳ねた。

 「えへへ……やっと会えたよぉ」

 ジョーリィと向かい合うように動いたフェリチータは、ごく自然な流れで両腕を青いシャツに巻き付け、顔を埋める。
 身をぴったりと擦り寄せ、離れようとしない。

 「どうやら酒を大量に飲んだらしい」

 フェリチータから解放されたノヴァは安堵した様子で立ち上がり、説明を始めた。

 「祝いの席だから、と何度もグラスに酒を注がれていた。
  こいつの事だ。断れずに全て飲み干したんだろう」

 ついさっきまで祝賀会は続いていたしな、と言を継ぐ聖杯幹部は、フェリチータに着崩された身なりを整える。
 最後に腰の刀の位置を調整した彼は、ジョーリィに向き直った。

 「……フェリチータと結婚するのか?」

 青く澄んだ双眼が尋ねる。
 ただの好奇心や興味本位ではないと分かる語調に、サングラスで両目を隠した男にしては珍しく、素直に答えた。

 「お嬢様が望むなら」

 皮肉を含まない返答にノヴァは瞠目し、そうか、と短い相槌を口にする。
 未だジョーリィに抱きついたままのフェリチータを見遣り、ノヴァは表情を険しくした。

 「だが、こいつが苦しみ、マンマが悲しむような事をすれば僕は容赦しない。
  例え、時期トップの婚約者だとしてもだ」

 そう言い残して去ろうとする小柄な背中に、ジョーリィは疑問を投げかける。

 「此処にある衣類は何だ?」

 東屋に設置されているテーブルにもフェリチータの服や靴が高く積まれており、ジョーリィが拾い上げた数の倍は優に超えるだろう。
 肩越しに振り返ったノヴァは衣服の山をちらりと見て、知らない、と首を横に振った。

 「通りかかった僕が、薔薇園に無理矢理引っ張り込まれた時には既にあった。
  服を選ぶのを手伝って欲しい、と言っていたな」

 そこまで話して、ノヴァの顔が赤くなる。
 どうやら、フェリチータにスーツを脱がされそうになった事を思い出したらしい。
 そそくさと足早に立ち去る15歳の少年から視線を外し、ジョーリィは近い未来に花嫁となるであろう少女を見下ろした。

 「お嬢様、そろそろ離れてくれないか?」
 「やだ」

 ジョーリィの要請は即座に却下される。
 幼子のような我侭に呆れつつも、何故か嫌な気はしなかった。

 「だってぇ……すぐいなくなっちゃうんだもん……」

 拗ねたような口振りは、強気な性格の彼女からはとても想像つかないもので。
 初めて目にする一面を、自分よりも先にノヴァが見ていたのかと思うと、ひどく腹立たしい。

 「私がいなくて寂しかったのか?」

 薄闇でも輝く真っ赤な髪を梳き、態と冗談めいた言い方をする。
 そうでもしないと、怒りのままにフェリチータを傷付けてしまいそうだったから。
 自己中心的な男なりの、精一杯の自制だった。

 「うん!」

 けれども酩酊したフェリチータは、アルカナ能力を発動する事もなく、ジョーリィの心中なんてお構いなしだ。
 場違いな明るい声で、元気よく返事をする。

 「ジョーリィが傍にいなくて寂しかったぁ」

 大きな緑の双眸がジョーリィを見上げた。
 絡み付かせていた腕が解け、サングラスに伸ばされる。
 至近距離で直接瞳を射貫かれ、ジョーリィは小さく息を呑んだ。
 大多数は見ただけで逃げ出す、アメジストとスティグマータ。
 その2つを真っ直ぐ見つめ、フェリチータは眦を下げた。

 「やっぱり綺麗で……優しい目だね」

 酔っ払いの戯言、と笑い飛ばすなんて容易いはずだ。
 しかしジョーリィには出来なかった。
 睦言を紡ぐ唇を、親指でゆっくりとなぞる。

 「君には敵わないな……」

 自嘲気味な笑みが漏れた。
 不思議そうにするフェリチータの頬に手を添えて、顔を近付け――

 「あ!」

 もう少しで唇が重なるという時、空気を読まない音が小さな口から飛び出る。
 ジョーリィが訝しげで、何処か残念そうな視線をフェリチータに向けた。

 「ねぇ、ジョーリィ!
  一緒に服と靴を選んで!」

 黒の革手袋からするりと身を躍らせ、軽やかな足取りで服が積まれたテーブルに近付く少女。
 心から楽しそうな様子で、ジョーリィに振り返った。

 「おととい食事に連れてってくれたお礼をしたいの!
  薔薇園でお茶会を開こうと思うんだけど、どうかな?」

 酔っている為、いつもより早口で声量も大きい。
 だが不愉快に感じないのは、話しているのが彼女だからか。
 そんな事をぼんやりと考えながら、ジョーリィは口角を上げた。

 「お嬢様からのお誘いならば、いつでも付き合おう」

 「嬉しいっ」

 惜しげもなく純真無垢な笑顔が咲く。
 フェリチータは衣類の塊に腕を突っ込むと、その中から1枚のフレアスカートを引っ張り出した。

 「お茶会で何を着ようかなぁ。
  このスカート、似合う?」

 タイトミニスカートの上から合わせられた、ひらひらふわふわの布地は柔らかそうで、温かい雰囲気を纏う彼女にはぴったりに思える。

 「ああ、良く似合っている」

 「ほんとッ?」

 「しかし、何故自室で選ばない?」

 たくさんの洋服を部屋から持ち出し、態々薔薇園で選別する理由が分からない。
 先程から気になっていた事を問うと、ペリドットの目が細められた。

 「薔薇園で着る服なんだから、薔薇園で選んだ方がいいでしょ?」

 ジョーリィも、と花柄スカーフを首に巻こうとする手から何とか逃れる。
 次にフェリチータは、水玉のカーディガンを羽織った。
 その場でくるりと回る姿は非常に可憐で、何よりも愛おしい大切なもの。

 「ジョーリィには、1番綺麗な格好を見てもらいたいから……」

 語尾が消え入りそうな呟きに、ジョーリィの胸が熱くなる。
 思わずフェリチータの腰に腕を回し、抱き寄せた。

 「君がどんな格好であろうと関係ない。
  私の運命の恋人に変わりはないからな」

 「恋人……」

 「違うのか?」

 朱に染まった耳に、低い声で囁く。
 長いツインテールを揺らして、ぶんぶんと頭が左右に振られる。

 「ジョーリィが大好き」

 戸惑いや躊躇い、飾り気のない、率直な台詞。
 お嬢様、と呼びかけようと開いた唇に細い人差し指が乗せられた。

 「名前……呼んで?」

 控え目な語気に、潤んだ瞳がいじらしい。
 ジョーリィは自分でも気付かない内に、表情を和らげていた。

 「フェリチータ……」

 宝物を扱うように、そっと恋人の名を口にする。
 無意識に落としたキスは、今度こそ邪魔される事なく、フェリチータの唇と重なった。
 彼女の甘い匂いと薔薇の香りが鼻腔をくすぐる。
 安らかな幸福感に包まれて、2人はそっと瞼を閉じた。



fine.




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