壊滅的自説理論




 レガーロ島を守る自警組織、アルカナ・ファミリア。
 人々の平和を維持する為にはそれなりの人員が必要で。
 100人近くが一緒に生活するファミリーの館は何処でも活気に溢れていた。
 しかし、人の出入りが頻繁でない場所も存在する。
 鍵の掛かった扉をいくつもくぐり抜けた先にある、薄暗い闇の世界。
 ごく限られた人物しか近付かないし、大多数は近付こうとも思わない部屋だ。
 普段であれば薬品独特の臭気や不健康そうな紫煙で満たされているのだが、最近は別の物で覆われる事も少なくない。

 「あッ……や、ぁ!」

 悩ましい喘ぎと淫らな水音が錬金部屋に響き渡る。
 何度も肌同士がぶつかり合い、自分の身体の境目が分からなくなりながらもフェリチータは口を開いた。

 「ま、待っ……て」

 「……何だ?」

 不機嫌そうではあるが、ジョーリィの律動が止まる。

 「仕事……まだ……残って、る」

 流されそうになる理性を必死に掻き集め、切れ切れに言を継いだ。
 だが努力も虚しく、彼の苛立ちを助長させる結果となってしまう。
 大きな舌打ちが聞こえたと思ったら、容赦なく最奥を貫かれた。

 「きゃアぁ!」

 白い喉が反り、身体が大きく跳ねる。
 身悶えるフェリチータに加減する事もなく、ジョーリィは腰を叩き付けた。

 「仕事ならルカが問題なく片付けている」

 熱い行為とは裏腹の冷徹な声音。
 背筋がぞくりと震えるも、フェリチータの脳裏には幼い頃から共に過ごした従者の顔が浮かんだ。
 誰よりも自分の幸せを願ってくれたルカ。
 けれどもフェリチータが選んだのは、そんな彼が最も苦手とする血縁上の父親。
 選択を悔いてはいないが、若干の申し訳なさが残るのも事実だ。
 特に、執務を押し付けて快楽に耽っている今この状況では。
 気持ちを立て直し、フェリチータは再度言葉を発した。

 「ジョーリィはパーパになったんだから……仕事しなきゃ……駄目……。
  ルカが……可哀想……っ」

 言い終わるや否や、本気で命の危機を感じる程の殺気に包まれる。
 怯えて動けなくなった華奢な身体に、凶暴な塊が深々と突き刺さった。

 「いっ……やァ」

 「他人の心配をしている場合か?
  ……俺の下にいて随分と余裕があるものだな」

 ジョーリィが酷薄な音で喉の奥を震わせる。
 耳に残る、彼特有の笑い声にフェリチータの意識は奪われていく。
 情欲の海に溺れる彼女が最後に見たのは、優しさと残忍さを同時に湛えた紫の双眸だった。 







 「行くぞ」

 「……うん」

 フェリチータは疲労の残る全身を両腕で支え、起き上がる。
 崩れ落ちそうな膝に力を込めて歩を進めると、ドアの前に立っていたジョーリィが愉快げに笑った。

 「つらそうだな」

 他人事のような口調に、フェリチータは相手をきつく睨み付ける。

 「誰のせいなの」

 未だ悦楽の余韻が続き、一度火が点くと中々冷めない身体。
 少し前まで汚れを知らない純真無垢な少女に官能の悦びを教えた男は、飄々とした仕草で葉巻を吸った。

 「未来の夫にそんな目付きをしていいのか?」

 「……ッ」

 夫、という単語にフェリチータは一瞬だけ怯む。
 間違ってはいないのだが、依然として実感が湧かない。
 アルカナ・デュエロ優勝者との結婚はモンドの命で決まった事だ。
 だが例え命令がなくとも、フェリチータはジョーリィを選んだだろう。
 非情で尊大な、誰からも怖れられる錬金術師。
 それでも彼と関わる内に様々な面を知って。
 命の恩人への一途すぎる程の想いや、子どもっぽい性格など。
 フェリチータにとっては全てが堪らなく愛おしい。

 「フェル」

 彼しか使わない愛称に反応して見上げると、黒い革手袋を嵌めた手が差し出された。
 サングラスをかけてしまったので表情は分かりにくいが、ジョーリィは存外に柔らかな雰囲気を纏っている。
 フェリチータも穏やかに微笑むと、大きな手に自分のを重ねて、指を絡めた。







 「ふぅ……」

 外では太陽が輝く見事なレガーロ晴れ。
 煌めく陽光が窓から射し込む明るい執務室で、ルカは盛大に長い息を吐いた。

 「全く……あの人は……」

 机に山と積まれた書類と格闘してから何時間が経過しただろうか。
 本来ならば新しくトップに立つ事となったジョーリィの仕事である。
 しかし彼はパーパとしての職務を放棄して自分の研究を最優先にしている為、書類は溜まるばかりだ。
 このままでは多くの人たちに迷惑がかかってしまう。
 そこで仕方なく、ルカがジョーリィの代行を務めていた。

 「はぁ……」

 もう何度目になるか分からない溜息が無意識に漏れる。
 多忙ではあるが、パーパの職務代行など秘書の経験があるルカにとって大した問題ではない。
 それよりも気がかりなのは。

 「……お嬢様」

 この世でたった1人の、愛しい主。
 彼女が幼い時から仕え、傍で見守ってきた。
 周囲から『過保護だ』と言われようとも、天使のような笑顔を守る為ならば何だって出来た。
 そんな唯一無二の少女が選んだ幸せの相手は、ジョーリィ。
 血縁上の父親ではあるが、たったそれだけの間柄。
 出来る事ならば、その関係さえも断ち切ってしまいたい。
 錬金術を教授してはくれたが、親の愛情を与えてくれる事は一切なかった。
 更には大切な友人までも研究材料とした男に、一欠片も期待をしなくなったのはいつからだろうか。

 「……」

 13年間も世話をしてきた少女が、複雑な感情を抱く父親の恋人になったなど、初めは信じたくなかった。
 誰よりも近くにいたのに、自分の手の届かない場所へ行ってしまったような気がして、寂しかった。
 けれども、彼女が望んだ事だ。

 ……お嬢様の為ならば、今まで通り、募る想いを秘め続けるなど造作もない。

 ぼんやりと考え事をしていたルカは、ギィと執務室の扉が開いた音で我に帰る。
 振り返るとジョーリィが、そして彼の長身に隠れるようにしてフェリチータが立っていた。

 「もういい、下がれ」

 ルカが何か言おうとする前に、ジョーリィの冷酷な声が退室命令を告げる。
 一旦口を噤み、再び開いたルカの口から出た言葉は、

 「……はい」

 消え入りそうに小さい、たったひと言。
 帽子の縁に指を添え、軽く会釈をする。
 目を伏せてジョーリィの横を通り過ぎようとした時。

 「ルカ」

 決して聞き間違えようのない、鈴の音のように澄んだ声が自分の名を呼んだ。

 「いつもありがとう」

 控え目な、けれども温かみのある言葉が耳朶に触れる。
 たったそれだけで、ルカは天にも昇る心地になれた。

 「お嬢様……!」

 俯いていた顔を上げ、嬉し涙を浮かべた目でフェリチータに笑いかける。
 そして、衝撃的なものを見てしまった。
 上気した頬と、艶やかに濡れた唇。
 甘い匂いが鼻を掠めたのは、絶対に気のせいではない。
 長年仕えてきた少女の、今まで見たこともない妖艶な姿。
 ぞくり、とルカの劣情がそそられる。

 「……ルカ?」

 従者がじっと自分を見つめている事を怪訝に感じたフェリチータが声をかけた。
 ルカは急いで目を逸らすが、慌てた様子を隠せる程の余裕はない。

 「す、すみません!
  失礼しますね、お嬢様……」

 「待て」

 そそくさと場を辞そうとしていたルカをジョーリィが制した。
 訝しく思い、血縁上の父親を見返す。
 フェリチータも不審そうに婚約者へ振り向いた。
 2人の視線を浴びる当の本人は、いつもの人を食ったような笑みを浮かべてはいるものの、どこか苛立ちを帯びた顔をしている。

 「ルカ、お前は今、何を考えていた?」

 「え?」

 質問の意味が分からずきょとんとするルカに、ジョーリィは明らかに侮蔑の視線を送った。

 「今のお嬢様を見て、お前が何を考えたのかを訊いているんだ」

 言い直された問いで、今度こそルカは正確に理解する。
 先程フェリチータと目を合わせた時に抱いた感情を尋ねられている、という現状。
 そして彼女への欲情を、ジョーリィが見透かしている事も同時に思い至った。
 怒りといたたまれなさで顔が赤くなる。

 「どうしたの?」

 フェリチータだけが状況を把握出来ず、錬金術師の親子を交互に見遣った。
 不思議そうにする恋人を、ジョーリィはやや乱暴に抱き寄せる。
 急に引っ張られてバランスを失ったフェリチータの顎を捉え、半ば強引に唇を塞いだ。

 「んぅッ!」

 フェリチータは身じろぎして逆らおうとするが、ジョーリィの力には勝てない。
 荒々しいキスを交わす2人から視線を外す事も適わず、ルカは声すら上げられなかった。
 長い口付けからようやく解放され、肩で息をする少女の耳許に低い声が囁く。

 「そういえば……フェル。
  ルカが可哀想、と言っていたな」

 「……ぇ?」

 潤んだ翡翠の瞳で見つめると冷笑が返された。
 紫紺の無慈悲な眼差しに全身が粟立つ。

 「ルカ」

 視線以上に冷たい口調で呼ばれ、ルカは嫌々ながらもジョーリィを視界に入れた。
 嫌悪感の滲む表情を実の息子から向けられても皮肉めいた笑みは消えない。

 「私の花嫁に不埒な考えを抱いた時点で厳罰に値するが……。
  どうやら心優しいお嬢様は望んでいないようだ」

 そこで言葉を切り、おもむろにサングラスを外した。
 見る者を凍てつかせるスティグマータが露になり、ルカとフェリチータは息を呑む。

 「フェル」

 今度はフェリチータの方に向き直ったジョーリィだが、酷虐な様子は変わらない。
 細い身体が恐怖に戦慄いた。

 「君は私のものである事を忘れたか?
  他の男に心を移ろわせるような不貞な妻には躾が必要だな」

 そう言うと、ジョーリィはフェリチータの肩を強く押す。
 ルカが咄嗟に両腕を伸ばすが間に合わず、体勢を崩したフェリチータは前のめりに転んだ。

 「お嬢様!!」

 床に両手両膝をついて四つん這い状態のフェリチータにルカが駆け寄る。
 突然の出来事に彼女の頭は働かず、身体も動かない。

 「ジョーリィ!!
  お嬢様に何て事を!」

 ルカが憎悪に満ちたで叫んだ。
 それには答えず、ジョーリィは倒れ込む恋人に背後から覆い被さる。
 フェリチータが抵抗する間もなく、下着を脱がされて腰を持ち上げられた。
 何の前触れもないままに、深くまでジョーリィ自身が侵入する。

 「あっ、いや……ァ」

 少し前までの錬金部屋での行為を覚えている身体は、すんなりと剛直を受け入れた。
 執務室中に伝わる卑猥な音とルカに見られている事実に、フェリチータは死にそうなくらいの羞恥に襲われる。
 嬌声を抑えられずにいると不意に髪を掴まれ、顔を上げさせられた。

 「痛い……っ!」

 「悦がっている場合ではないよ、お嬢様。
  これは躾だと言ったはずだが?」

 冷ややかな声音は愕然としているルカにも投げかけられる。

 「ルカ、何をしている。
  大嫌いな男に愛しのお嬢様が犯されているのを黙って見ているだけか?」

 にやりと笑うジョーリィ。
 苦しそうに顔を上げさせられているフェリチータを見て、ルカは彼の言わんとする事を把握した。

 「あ、貴方って人は……!」

 「どうした?
  見ているだけで我慢出来るのか?」

 ずん、と最奥を抉られたフェリチータは最早喋る事すら不可能だ。
 愉悦に身を捩り、喘ぐだけである。

 「ンぁ……っ、やァ……あ」

 思考回路が奪われた脳に、かちゃかちゃという金属音が鳴った。
 けれども音を認識するより早く、口許に熱い塊が宛てがわれる。

 「すみません……お嬢様……ッ」

 「ふ、……んゥ!」

 酸素を取り込もうと開いた口が、灼熱の物体で塞がれた。
 口内と秘部を同時に責められ狂いそうなフェリチータの頭に、ジョーリィの言葉が響く。

 「フェル……誰の事を考えている?」

 「ぅう……ン」

 「言え」

 「……リィ…………ジョーリィ……!」

 「……いい子だ」

 答えを聞いて満足げに微笑んだジョーリィは、フェリチータの口を離させた。
 勝ち誇ったような顔つきでルカに言い放つ。

 「これで分かっただろう?
  こんな事をしてもフェルの頭には私しかいない。
  ……私から奪う事など出来やしないのだと」

 「……!」

 敵意、苦痛、怨恨。
 ありとあらゆる負の感情を込めた目で、ルカは同じ色の瞳を持つ悪魔を思い切り睨む。
 そして何も言わず、殺気を纏わせたまま執務室を立ち去った。

 「フェル」

 遠くなっていく靴音に混じって、ジョーリィがフェリチータを呼ぶ。
 その声は蕩けるように甘く、快楽の闇に墜ちそうな意識を引き戻した。

 「それで……どうだった?
  私以外の男に犯された気分は」

 「……嫌……だった」

 悲痛に顔を歪ませるフェリチータに、優しいキスが落とされる。
 緩く吸い付く口付けは波立つ心を安寧にしていった。

 「自分が誰のものであるか、どうやら思い知ったようだな」

 物騒な台詞とは裏腹に声音があまりにも穏やかで、先刻までの行為を強制してきた男と同一人物だとは信じられない。
 フェリチータの動揺を見抜いたように、ジョーリィは口角を上げた。

 「狂気のない愛などつまらないだろう?
  ……俺をここまで狂わせるのは君だけだよ、フェル」



fine.




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