恋煩いの処方箋




「あっ……!
 ジョーリィ……っ」

「何だ?」

「も……無理ぃ……」

何度も絶頂に達したフェリチータは足腰がちゃんと立たない。
だが、ギブアップを告げる声は笑って躱された。

「何を言う。
 ……俺はまだ終わらせるつもりはないが?」

「やっ……ん!」

激しい律動とは正反対の優しい紫の瞳に射貫かれ、フェリチータは呼吸の仕方さえ忘れそうになる。
抵抗が止まった隙にジョーリィは彼女の手を取り、口付けた。
最初は恭しいものであったが、徐々に舌先が官能的な動きを見せる。
指の付け根を舐められたフェリチータは背筋を震わせた。

「……ぁ」

「気持ち良いみたいだな」

「違う……ッ」

反射的に出た否定の言葉に意地の悪い表情が返される。

「ほう……。
 ではこれはどうかな?」

「ゃ……ァ」

人差し指の爪を噛まれた。
いつもなら意識しない場所に好きな人が触れていると思うだけで、身体が疼く。
そんなフェリチータの変化を見透かしたように、ジョーリィは笑みを浮かべた。

「どうやら、物足りないのは君の方らしい」

「ジョー……リィ」

触れられる指と唇の感触で、フェリチータは体温の上昇を感じる。

……なんか、ふわふわする。

涙で滲む視界にジョーリィが映り込んだ。

「フェル……異様に熱くないか?」

「ぇ……?」











「風邪だな」

「……ごめんなさい」

「お嬢様が謝る事ではありません。
 ゆっくり休んでください」

フェリチータは毛布にくるまり、大人しく横になる。
アルカナ・デュエロの優勝後、ドンナとして忙しい日々を送っていた。
夢中で職務に励んでいた時は意識していなかったが、相当疲れが溜まっていたらしい。
気を抜いた途端、無茶が祟り発熱。

……情けない。

自分の未熟さに泣きそうになるが、グッと堪えた。
枕に顔を埋めると、ルカが持って来た薬を飲んだ為か睡魔に襲われる。
フェリチータが最後に見たのは、心配そうなルカと普段通りのジョーリィ。
何の変化も無い恋人の態度に若干寂しくなりつつ、眠りに落ちた。



「眠ったようですね」

フェリチータの安定した寝息に、ルカはホッとして微笑む。
だが、すぐに冷徹な眼差しでジョーリィに向き直った。

「ジョーリィ、お嬢様に何をしたのですか?」

「何を、とは?」

実の息子に怒りを向けられても、ジョーリィは常態を崩さず葉巻を吹かすだけ。
その様子が余計にルカを苛立たせた。

「お嬢様が倒れるまで無理をするなんて、貴方のせいとしか思えません」

寝ているフェリチータを気遣って声量は小さいが、口調には鬼気迫るものがある。
敵意にも似た感情を抑える事もせず、ルカは更に息巻いた。

「一体何をしたのですか?」

「そうだな……」

ジョーリィは数秒だけ考え込む。

「思い当たる点はいくつかあるが……。
 長時間何も身に付けていなかったのは、主な原因のひとつだろうな」

「なっ……!」

赤面して声も出せないルカを尻目に、サングラスの男は飄々と話し続けた。

「休息を要する身体を夜に酷使させたのも良くなかった。
 それから……」

「もう結構です!」

ルカは半ば涙目になりながら話を遮る。
ジョーリィは皮肉っぽく喉を震わせた。

「あとは私がお嬢様を看病します。
 ジョーリィは退室してください」

「お前がするのか?」

「メイド・トリアーデは所用で忙しいそうです。
 従者である私がお世話をするのは当然でしょう?」

泣き顔から一変、勝ち誇ったような顔つきのルカ。
腹立たしい事この上ないが、言い返すのも面倒に思い、ジョーリィは寝室を後にした。



しかし、10分も経たない内にジョーリィはフェリチータの部屋に戻る事となる。
ルカが汗ばんだフェリチータを着替えさせようと、寝巻きに手をかけたのだが。
白い肌に散らばる赤い痕を見つけ、館に響き渡る程の大絶叫を上げた。
当然フェリチータは目を覚まし、他の者も何事かと集い出す。
こうも騒がれてはおちおち寝ていられない。
結局、騒ぎの元を作った相談役にドンナの看病が一任された。











……これは一体どういう状況だろう。

目の前に突き出されたスプーンを凝視しながら、ベッドで上体を起こしたフェリチータは困惑する。
部屋でうるさくする人たちを全員追い出そうとしたら、ジョーリィが残ってくれた。
それだけでも驚きなのに、コックのマーサが作ったジャッポネの病人食を手ずから食べさせてくれようとしている。
面倒事を極端に嫌う男がとる行動ではない。
ジョーリィも熱があるのかもしれない、と本気で疑い出した時。

「フェル」

深く低い音に呼ばれ、視線をスプーンから声の主に移す。
サングラス越しでも分かるくらいに彼の双眸は愉悦を湛えていた。

「食べないのか?」

「自分で食べる」

スプーンを受け取ろうと伸ばした手は、急激に吐き出された呼気を押さえようと口許へ戻されてしまう。
断続的に出る咳がようやく治まり、フェリチータは口を開いた。

「ジョーリィに移っちゃうから……ゴホッ……。
 部屋から出た方が……ケホッ」

相手を配慮しての言葉だが、言われた当の本人は全く動く気配を見せない。
それどころか、益々楽しそうに口角を上げた。

「この私が風邪を移されるとでも?
 それに君が体調を崩したのは私の責任だからな」

「ジョーリィのせいじゃないよ……?」

風邪をひいたのは体調管理が出来ていなかったからだ。
自分の不甲斐なさが悔しくて、きつく拳を握る。

「いや、私の責任だ」

「違う」

「違わないさ、風邪をひいても何の不思議もない。
 お嬢様に一糸纏わぬ姿で無理をさせたのだからな」

「……ッ」

一気に耳まで真っ赤になった。
熱が一層上がった気がする。
睨み付けるが、ジョーリィは喉で笑うだけだ。

「それに、今の君の状態に興味がある。
 体調不良で弱ったドンナなど、滅多に見られるものではない」

フェリチータは睨む視線をよりきつくさせた。

「当たり前でしょ。
 しょっちゅう具合を悪くしてたら周りに示しがつかない」

「そうだな」

  黒の革手袋を嵌めた手が、頭に優しく乗せられる。
仕種と同じように柔らかい微笑みが向けられた。

「常日頃から努力を欠かさない君だ。
 休んだとしても誰も文句はあるまい」

「ジョーリィ……」

「だから……たまには思い切り甘えるといい」

耳許で囁かれると、風邪とは別の熱で身体の芯が火照り出す。
俯くフェリチータに再びスプーンが掲げられた。

「栄養を摂取しなくては治るものも治らん。
 ジャッポネで病気の時に食べる米料理だと、スミレが言っていた」

恥ずかしさを感じながらも、小さく口を開ける。
唇に当たる事もなく、鮮やかとも形容出来そうな程上手に粥を口に入れられた。
水分を多く含んだ米は薄味で、温かい。

「美味しい」

「それは何より」

目を細めたジョーリィに釣られてフェリチータも笑顔を見せる。
結局、食べ終わるまで何度もスプーンを口に運ばれる羽目になった。





「食事は済んだな」

空になった食器を下げるジョーリィを見つめる。
こんなにも優しくされるのは初めてで、くすぐったい感じがした。
フェリチータの視線に気付いたジョーリィが怪訝そうに振り返る。

「何か言いたそうだね、お嬢様」

「だってジョーリィが……優しい」

ぽつりと呟くと、やけに驚いた表情を返された。
けれどもすぐに平常通りの人を食ったような笑みに戻る。

「私が優しいのはそんなに意外か?
 ……まぁ、看病など今までした事がないからな」

だが、と言葉を続けるジョーリィはベッドに腰を下ろした。
スプリングが跳ねる振動が響く。

「対価も無く働くつもりはない。
 体調が戻ったらたっぷりと貰うからな」

不穏な台詞にフェリチータは上体を反らした。
しかし長い指に顎を捉えられ、瞳を至近距離で覗かれて動けない。
アメジストの眼に吸い込まれそうな錯覚に、ごくりと唾を飲んだ。
怯むフェリチータを見て、ジョーリィは唇を歪ませる。

「忘れられては困るね。
 私を動かすには等価交換が必須だと、前にも教えた筈だが?」

サングラスの奥で光る双眼から視線を逸らせない。
ただ真っ直ぐに見つめ返すと、指先が妖しげに蠢いた。
顎から首筋をなぞり、胸元まで下ろされる。
白い寝間着で指の動きが邪魔されると、ジョーリィは躊躇いなく脱がせようとした。
フェリチータは慌てて手を押え付ける。

「何するのっ」

「着替えを手伝おうとしただけだ。
 汗をかいただろう?」

悪戯っぽく笑う彼は何処か子どもじみており、島の人々から怖れられる相談役だとは到底考えられなかった。
けれども、そんな無防備な姿を見せるのは2人きりの時だけだ。
自分のみが知る恋人の一面を垣間見て、フェリチータは顔を綻ばせた。

「何を笑っている?」

不機嫌そうな声音すら拗ねているようで愛しく思える。

「ジョーリィが可愛くて」

「……可愛い、ねぇ」

一瞬だけ瞠目したジョーリィだが、にやりと笑うとフェリチータとの距離を更に縮めた。
癖のある黒髪が頬に触れる。
緊張で固まってしまったフェリチータの鎖骨に唇が押し当てられた。
強く吸われ、赤い痕がまたひとつ増える。

「きゃ……!」

「そういう素直な反応をするフェルの方がよっぽど可愛いと思うがね」

くつくつと喉の奥を鳴らし、ジョーリィは再び寝間着に手をかけた。

「や……っあ」

「恥じる事など何も無いだろう?
 君の事は全て知り尽くしているのだから」

汗ばんだ生地が肩を滑り落ちる。
外気に晒された箇所から順番にキスを降らされた。
首筋、肩、鎖骨、デコルテのスティグマータ。
胸の膨らみでかろうじて留まっていた布が、一息で腰の位置まで下げられる。
フェリチータは慌てて双丘を両腕で隠した。

「ひ、ひとりで着替えられる!
 ジョーリィは後ろ向いて!!」

羞恥心で声が若干裏返る。
ジョーリィはおかしそうに肩を揺らせた。
フェリチータが鋭い目付きで見上げれば、拍子抜けする程あっさりとベッドから立ち上がる。

「仰せのままに」

近くにあった椅子に座り、背を向けるジョーリィ。
フェリチータは可能な限り手早く、新しい寝間着を身に付けた。
ちらりと恋人の背中を見遣る。

……何を考えているんだろう。

優しくしてくれたと思えばフェリチータをからかい、翻弄する。
ただでさえ熱で頭がぼーっとするのに、ジョーリィの一挙手一投足でドキドキしっぱなしだ。
心臓が破裂せんばかりに鼓動を打つのは、絶対に風邪のせいではない。
ジョーリィがどんな思考回路で行動しているのか気になり、フェリチータはアルカナ能力を発動させる。

彼の心はフェリチータ自身で占められていた。
恥じらう彼女をからかいつつも慈しむ想いと、体調不良への憂慮。
仮にも組織のナンバー2である男だ。
多少なりとも仕事について考えていてもおかしくはないのだが、気持ちが丸ごと全部自分に向けられている事が単純に嬉しい。

「着替え終わったのか?」

「うん」

後ろ姿のまま尋ねられ、短く返答する。
振り向いたジョーリィは再度ベッドに腰掛けた。

「さて、薬の時間だ」

差し出されたカプセルの中では乳白色の液体が揺れている。
恐らく、いや間違いなくジョーリィが調合した物だろう。
フェリチータは警戒して首を横に振った。

「薬なら、さっきルカがくれたから大丈夫」

「ルカが持って来た薬は飲めて、私のは飲めないと?」

不満そうなジョーリィだったが、たちまち企みを秘めた眼光に変わる。

「……ならば、無理矢理にでも飲ませるまでだ」

「え……んぅ!」

後頭部に手が添えられ、ぐいっと顔を近付けられた。
突然のキスで、音を発したばかりの唇を閉じる猶予も無い。
唾液と共に口移しでカプセルを飲まされた。
そのまま舌を差し込まれ、フェリチータの舌に纏わり付く。
アランチャの香りが鼻腔を通り抜けた。

「ん……ふっ……」

「……ぁン……はぁ、ジョー……リィ」

一旦離れ、すぐにまた唇を合わせる。
口内に侵入した舌は意思を持ったように艶かしく跳梁した。
フェリチータが甘美な吐息を漏らす。

「だめ……ぇ」

「……何がだ?」

「これ……以上、は……」

……我慢出来なくなる。

体内で燻った火種がジョーリィのキスで燃え上がりそうで。
熱に浮かされた頭と身体では、とてもじゃないがついて行けない。
フェリチータの目尻に溜まった涙を、ジョーリィは笑って舌で拭った。

「安静が必要なフェルに無理はさせられないな。
 休むといい……俺が傍にいる」

甘くて蕩けそうな声に全身が包まれる。
体調を崩している時は心細くなりがちだが、恋人が一緒にいてくれれば寂しさも感じない。
ベッドに体重を預けたフェリチータはあっという間に意識を手放した。





***





瞼を開けて起床すると、もう朝なのか日差しが眩しい。
フェリチータは怠けが消えたのを感じ、大きく伸びをした。
額に置かれていたタオルが落ちる。

……あ。

ベッド横を見ると、すぐ隣の椅子にジョーリィが腰掛けたまま眠っていた。
夜通し看病してくれていた事に胸の内が熱くなる。
手を伸ばして少し乱れたその人の前髪を撫でた。

「目が覚めたか」

フェリチータが動く気配で、ジョーリィも目覚める。

「ずっと起きててくれたの?」

「仮眠は取っていたがな。
 それで、熱はどうだ?」

手袋の無い大きな手が、フェリチータの額に触れた。
冷たい感触がじんわりと伝わる。

「……案外早く下がったな。
 もう平気か?」

「うん、1日寝ただけで治ったみたい」

明るく笑いかけるフェリチータを、ジョーリィはやや眠そうな目で見据えた。

「すっかり良くなったよ。
 ありがとう、ジョーリィ」

「そうか。
 ……なら次は」

ヒョイっとベッドに乗ったジョーリィは、礼を述べるフェリチータを見下ろす。







「……私の番だ」

「え……ふぁ……!」

唖然とするフェリチータは組み敷かれ、急な口付けを交わされた。
両手首を押さえられ、身動きが取れない。

「はぅ……ッん」

「クックック……折角下がった熱がまた上がってしまうぞ?」

耳朶を甘噛みしたジョーリィが意地悪く笑う。
首筋に軽く歯が当たり、舌が這う感覚に震えが走った。

「ぁ……ジョーリィ……っ」

「完治したのだろう?
 ならば交代だ」

くるっと2人の体勢が入れ替わる。
フェリチータはジョーリィの膝に座らせられていた。

「まさか何も褒美はないのか?
 ……あんなに俺に心配をかけておいて?」

「!!」

華奢な腰にジョーリィの左手が添えられる。
もう片方の手は、上気したフェリチータの顔に触れた。

「朝まで看病したんだ。
 フェルも献身的に俺に尽くして欲しいね」

「尽くすって……どうしたら……」

赤くなって俯くフェリチータは、恥ずかしくて視線を泳がせる。
愉快そうに笑うジョーリィは、フェリチータの小さな耳に顔を寄せた。

「それとも……看病より寝込んでいても襲って欲しかったのか?」

「ち、違うっ……!」

  打ち消す言葉ごと唇を塞がれて奪われる。
激しく舌が絡み合い、淫らな水音が部屋を満たした。
呼吸を乱し、頬を染めたフェリチータへ、ジョーリィは不敵に微笑む。

「また倒れたら今度は別の方法で世話してやる。
 あぁ俺が熱を出した時は看病してくれるだろう、フェル?
 ……色んな意味で、な」





fine.




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